『ラーメンと愛国』

『ラーメンと愛国』読みました。
太平洋戦争当時は実現出来なかった大量生産は、チキンラーメンに代表される戦後の商品で実現されるが、現代では職人技のラーメン屋がもてはやされるようになったという歴史的視点は興味深いです。
経済のグローバル化に伴う外食産業の価格戦争に吞み込まれず、むしろ価格があがっているラーメン業界。「作務衣系ラーメン」などによる高付加価値を加えるラーメン店によるものということらしいです。画一化が進む世の中で独自性(大量生産でなく職人技)を保つ事(地方ラーメンもその類い)でグローバル化に対抗しているのです。
その一方でラーメンポエムやオーナーの自伝本などに見られるラーメンの右傾化がすすんでいるとの事。(ラーメンの右傾化!)グローバリゼーション(外圧)がすすめばナショナリズムの高揚をもたらすという二者の関係性がラーメンを通じて見られて面白いです。

ラーメンの右傾化については以下のようにあります。

ラーメン的愛国心の大本が、ニセモノであること、捏造された伝統であることは、問題ではないのだ。人々は、それを自明のものとして、「伝統の捏造」を、リアリティーショー的、遊戯的に行っているだけだけなのである。

(本書でも指摘がありますが)いまどきの作務衣は日本の伝統と関係なかったり、ご当地ラーメンが地方の食材や歴史と関係ない偽史だったりするのですが、ラーメンの右傾化や20世紀後半のナショナリズムがそれらを問題としない「<趣味的>ナショナリズム」というものであるということです。

ナショナリズムを批判するときに、伝統や正統性を掲げるナショナリストに対して、その伝統や正統性がまがい物であることを突きつける

上記のことをしがちな自分は態度を改めようと思いました。(伝統や正統性がなくっても問題にしない人たちにそんな指摘をしても無駄ってのが分かったのが一番の理由だけど)このような批判はタマネギの皮を剥くようにいつの時代からだったら正統性があるのかって疑問に辿り着くからです。

一方で、グローバリゼーションや画一化に対抗できるからといって、伝統や正統性をないがしろにしたナショナリズムには違和感は捨てきれない自分がいます。出身が富山県なんですけど、昨今の富山のブラックラーメンのブームは地元を離れた人間にしてみれば「ブラックラーメン、何それ?」が正直な感想だったりします。(育った時代とか関係してるんでしょうけど)いつしかブラックラーメンを知らない人は富山県人じゃない、みたいな感じになったりして。さらにどこどこの本店で食べてないと駄目みたいになったりして。右傾化でこわいのはそういうところです。

そんなこんなでBGMでジャズをかけてるラーメン屋を好きにはなれそうにないなー。

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