『A3』 共同体からの逸脱は怖い

ドキュメンタリー映画『A』、『A2』の監督森達也によるオウム関連ドキュメンタリー、でも今度は書籍(月刊PLAYBOYの連載)。ちなみに自分は『A』、『A2』を観てない。

本書を読んで自分が強く思ったのは共同体からの逸脱は怖いという事。
麻原の裁判の進め方は彼の様子からは早急なものに思わされる。独房で糞尿を垂れ流し,ウッ、ウッしかいわない人物が訴訟能力があるとする。二審弁護団が依頼した6人の精神科医は訴訟能力なしとしている(P.248)が高裁から依頼された医師によって訴訟能力ありとされた。
異常だとは思うがこのことを指摘することの人の少なさ。オウムの裁判は早く済ませろといわんばかりだ。

小泉首相は27日夜、オウム真理教元代表・松本智津夫(麻原彰晃)被告に対する死刑判決について「あれだけの大犯罪ですからね。死刑は当然ですね。もっと早く裁判が終わっていればいいんですけどね。被害者はやりきれない思いでしょうね。悔しい思いもよく分かります」と語った。(P.92)

須田賢裁判長は進行協議の場で新たな弁護人を前に「裁判は二年で終わらせる」と語ったという(P.273)

麻原の子供達の一連の入学拒否の事例をみていると、同じく子供をもつ身としては悲しい事例だ。特に自分は大学は学びたい人に応えられる場所だと思っていたので、三女の大学入学拒否の事例は許せないものを感じた。
(三女の大学入学拒否に関しては裁判でくつがえされ、入学できたとあるので他の入学拒否の事例でも裁判では麻原の子供達の思いは認められているのかもしれない)

憲法、法律違反なことがあっても「オウムだから」と特別扱いされ当然のようにされていく。共同体を維持するには逸脱者へのペナルティがないといけないという理屈は分かる。ただそれは現在は憲法や法律がその役割であって、憲法、法律から逸脱したやり方は近代国家のありかたではない。ましてや、子供達は関係ないではないか。

森達也はオウム関連事件は側近の麻原に対する過剰な忖度からおきた暴走という考えから、

麻原と側近たちとの相互作用によって教団内部の危機管理意識が高揚し」(P.450)

たことで事件が起きたという考えにたどりつく。麻原を生物学用語のレセプターに例え、レセプターの好む情報(危機意識を煽る情報)を側近が(捏造も含め)集めたとする。このレセプターの例えは日本国民とマスコミの関係にも例えられている。私たちも「オウム=絶対悪」という好む情報ばかり与えられているのだ。

麻原がオウム設立前に薬事法違反容疑で逮捕された時の担当で麻原に同情的である言葉の刑事がオウムの選挙活動を見かけて

世間知らずにもほどがある(P.314)

もう少し社会体験や実績を積み重ねて、世間から認められるようになったら選挙もいいかもしれない。
(P.315)

と言いたかったとある。刑事の言うことはもっともだと思う。教団の中では誰もおかしいと思わなかったのだろうか?オウム真理教という共同体の中でおかしいと指摘する事は出来なかったのだろうか?
オウムの選挙活動はおかしいと言えるのは違う共同体の規範からの視点だ。だとすれば、同じように一つの共同体の規範に縛られることなく他の視点を持つことは出来るのではないか?それとも所属する共同体から逸脱しないように生きるしかないのか?

あとで読むかも、観るかも

おすすめ

Leave a Reply